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サッカー情報

横浜フリューゲルス最後の優勝



かつてJリーグには横浜フリューゲルスというチームが存在していました。そのフリューゲルスが成し遂げた1999年の天皇杯優勝は、あまりにもドラマティックで、あまりにも悲しい、最後のタイトル獲得となりました。

横浜フリューゲルス、消滅への道

横浜フリューゲルス、消滅への道

横浜フリューゲルスは、全日空横浜サッカークラブを前身とするチームで、1993年のJリーグ開幕時から参戦している10チームの中のひとつです。Jリーグ開幕年には天皇杯で優勝を飾り、その後も楢崎正剛選手、三浦淳宏選手、前園真聖選手など、日本代表に名を連ねる選手たちを擁して、強豪チームとして名を馳せました。

ところが1998年、バブル崩壊の煽りを受けて、親会社の一つである佐藤工業がチーム運営から撤退してしまいます。もうひとつの親会社である全日空はこれを受けて、同じく横浜をホームタウンとしていたマリノスへ、合併を申し入れたのでした。このことは同年10月29日に、マスコミにすっぱ抜かれる形で明るみなり、サポーターどころか選手たちまでがニュースで知ったと言う、まさに寝耳に水の報せだったのです。

誰でもいい、助けてくれ!

誰でもいい、助けてくれ!

突然ライバルチームへの吸収合併が発覚するという事態に、サポーターは猛抗議を行ないました。スタジアム前での座り込みでフロントとの話し合いを要求し、また全国での反対署名活動は、他チームのサポーターも巻き込んで50万人もの署名を集めました。その年のリーグ戦、ホーム最終戦のセレモニーでは、ゲルト・エンゲルス監督は「誰でもいい、助けてくれ!」と悲痛な叫びをあげて抗議をしました。しかしその思いも虚しく、シーズン終了後のチーム消滅が決まってしまったのでした。こうして、この年のシーズン最後の大会となる天皇杯で、フリューゲルスは「負ければ消滅」という戦いへと赴くこととなったのです。

最後の戦い

最後の戦い

チームの合併騒動のなか、フリューゲルスの桜井孝司選手らは「強いフリューゲルスを見せよう」と声をかけ、チームを一致団結させました。合併発表後のリーグ戦4試合を、4連勝で終えたフリューゲルスは、最後の戦いとなる天皇杯を、悲痛な覚悟で勝ち上がっていきます。当時2強時代と言われ、最強を誇ったジュビロ磐田と鹿島アントラーズを次々と撃破。合併発表前は下位に沈み、J2降格さえちらつくなど不調だったチームは、別チームのよう勝ち続けていきました。そして遂にフリューゲルスは最後の舞台、天皇杯決勝戦へとたどり着いたのでした。

国立の空は、今もフリューゲルスのブルー

国立の空は、今もフリューゲルスのブルー

1999年元旦、フリューゲルスはJリーグ開幕戦の対戦相手であった、清水エスパルスとの決勝戦を迎えました。様々な感情が交錯するなかで始まった試合は、清水に先制を許すも、クラブの生え抜き選手である久保山由清、吉田孝行両選手がゴールを挙げるという劇的な展開の末、2-1で逆転勝利を納め、2度目の、そして最後のタイトルを獲得したのです。結局フリューゲルスは、合併発表後一度も負けることなく、最後の優勝を置き土産としてその歴史に幕を下ろしたのです。このとき試合を実況していた、NHKアナウンサー山本浩さんは、多くのサッカーファンの心に永く刻まれることとなる、こんな言葉を残しました。「私達は忘れないでしょう。横浜フリューゲルスという、非常に強いチームがあったことを。東京国立競技場、空は今でもまだ、横浜フリューゲルスのブルーに染まっています」