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世界で一番悲しいVゴール



Jリーグにはかつて、Vゴールというルールがありました。延長戦に入った場合、先にゴールを決めたチームがその時点で勝利となる、というルールで、Jリーグが開幕となったときに世界で初めて採用されました。ゴールを決めたチームは、歓喜に包まれるはずのVゴール。しかし、Vゴールを決めたにも関わらず、世界で一番悲しいと言われた試合がありました。

主役となってしまった浦和レッドダイヤモンズ

主役となってしまった浦和レッドダイヤモンズ

世界で一番悲しいVゴールの主役となってしまったのは、1999年の浦和レッドダイヤモンズでした。Jリーグに開幕当初から所属していた浦和は、初年度の両ステージと2年目の1stステージにて、3期連続で最下位となってしまいました。しかし1994年の2ndステージから元ドイツ代表のギド・ブッフバルト選手やウーベ・バイン選手が加入すると、浦和のチーム状況は上向きます。1995年には福田正博選手が日本人初の得点王になり、1stステージで3位になり、年間総合でも4位と強豪チームとなっていきました。

まさかの低迷

まさかの低迷

浦和レッドダイヤモンズは、1997年に守備の要となっていたブッフバルト選手が退団するものの、1998年には小野伸二選手の加入もあり、2ndステージで3位と好成績を残しました。ところが1999年、ワールドユース(現在のU-20ワールドカップ)やオリンピック代表でチームを離れる選手が多く、また、小野伸二選手やエースストライカーの福田正博選手、外国人選手などの故障もあって成績は低迷してしまいます。シーズン途中で日本代表経験もある中村忠選手や路木龍次選手を補強するものの、なかなか結果に結びつかず、浮上のきっかけとはなりませんでした。

2部制のスタート

2部制のスタート

1999年、Jリーグは2部制に移行し、年間の総合順位でJ1の下位2チームと、J2の上位2チームとの入れ替えが行なわれることになりました。またPK戦が廃止され、90分で勝利すれば勝ち点3、延長で勝利の場合は勝ち点2、延長で決着がつかなかった場合は引き分けとして両チームに勝ち点1が与えられることになりました。

この年、多くの主力が抜けたベルマーレ平塚(現在の湘南ベルマーレ)は、最終節を待たずに降格が決まってしまったものの、アビスパ福岡、ジェフユナイテッド市原、そして浦和レッドダイヤモンズの3チームが、残留を目指して最終節に臨むことになったのです。

世界で一番悲しいVゴール

世界で一番悲しいVゴール

1999年のJリーグは、最終戦を残してアビスパ福岡が勝ち点28、浦和レッドダイヤモンズが26で続き、ジェフユナイテッド市原は25でした。しかし浦和は得失点差が-20と、福岡と市原の-16より4下回っており、勝ち点で並んだ場合に不利な状況でした。最終戦は、福岡は横浜F・マリノスと、浦和はサンフレッチェ広島と、市原はガンバ大阪と、それぞれ同じ時間に試合が開始されました。90分以内で勝てば無条件で残留が決まる浦和でしたが、広島の堅い守りになかなかゴールを割れません。前半を終了した時点で、福岡が横浜に1点を奪われていたものの、市原と浦和の試合は得点が入っていませんでした。ところが後半15分に市原が先制すると、浦和は90分以内に勝利しないと降格の可能性が高くなり、攻撃的なフォーメーションで点を奪いにいきました。しかし猛攻も実らず、結局0-0のまま90分を終了。ここで福岡は2点差で負け、市原は1点差の勝利だったため、両チームが勝ち点28で全日程を終了します。浦和は広島にVゴールで勝利しても勝ち点で並び、福岡に得失点差でわずか1及ばず、J2への降格が決まってしまいました。延長戦は後半1分、福田正博選手がVゴールを挙げ、試合は浦和の勝利で終わったものの、笑顔を見せない福田選手や、号泣する小野伸二選手、岡野雅行選手などの様子は、世界で一番悲しいVゴールと表現されたのでした。