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サッカー情報

選手でも監督でもスーパープレー



Jリーグの黎明期に名選手として活躍し、その華麗なプレースタイルで「ピクシー(妖精)」と呼ばれた、ドラガン・ストイコビッチ選手。現在は名古屋グランパスの監督となって、その手腕を発揮しています。彼が魅せた数々のスーパープレーは、日本のサッカーファンを大いに沸かせ、楽しませてくれました。

日本に来る前の妖精

日本に来る前の妖精

ピクシーことドラガン・ストイコビッチ選手は、ユーゴスラビア(現在のセルビア)で生まれました。地元チームで才能を開花させたピクシーは、1986年から母国の名門・レッドスター・ベオグラードに移籍すると、チームを2度の優勝に導きます。この活躍が認められ、フランスの強豪マルセイユ・オリンピックに移籍しました。しかし、移籍早々膝の怪我に悩まされて、満足な活躍ができませんでした。さらに代表選手として参加したヨーロッパ選手権の予選中に祖国で内戦が勃発し、その制裁措置として、ユーゴスラビア代表チームは国際試合への出場停止処分を受けてしまいます。極めつけはチームの八百長問題が発覚でした。そのシーズンの優勝は剥奪され、2部リーグへの降格となってしまったのです。1994年、失意の妖精は、プロサッカーリーグが始まったばかりの日本へと行き場を求めることになりました。

雨の中の独走

雨の中の独走

ピクシーが日本で所属したチームは、名古屋グランパスエイトでした。当時は、Jリーグのお荷物と言われるほどの弱小チームで、連携の悪さもあって、ピクシーはなかなか活躍できずにいました。契機となったのは1994年9月14日のジェフユナイテッド市原戦。ひどい雨でフィールドは水溜りだらけという状態のなか、ピクシーはリフティングをしながら約30mを独走し、シュートを放ったのです。この日を境に、徐々にピクシーは本来の姿を取り戻していきます。翌年には、17ゴール29アシストという獅子奮迅の活躍でMVPを獲得し、天皇杯では名古屋に最初のタイトルをもたらしました。名古屋で活躍を続けたピクシーは、7年間で55ゴールを挙げ、惜しまれながら日本で引退。今でも、Jリーグの歴代最高の外国人選手は、ピクシーだと考えるファンは少なくありません。

ピクシーの日本大好き伝説

ピクシーの日本大好き伝説

ピクシーは、親日家としても知られています。1996年には、イングランドの名門アーセナルから移籍を打診されますが、日本に残ることが幸せだと、このオファーを断ります。本人は後に「当時、アーセナルからのオファーを断ったのは、世界で私だけではないでしょうか」と語っています。選手として引退後、祖国へ戻ったピクシーですが、2008年監督として名古屋グランパスへと舞い戻ります。グランパスサポーターはもちろん、全てのJリーグファンは喜びました。ピクシーは監督としてもその手腕を発揮し、2010年、グランパスに悲願のリーグタイトルをもたらしたのでした。

監督なのにスーパーゴール

監督なのにスーパーゴール

そんな監督時代にも、ピクシーのスーパープレーが飛び出した試合がありました。2009年10月17日の横浜F・マリノス戦、相手GKがライン外へボールを蹴りだした時のことでした。フィールド横のグランパスベンチの方に飛んできたこのボールを、ベンチから出てきたピクシーは、革靴を履いた右足でダイレクトボレー。ボールは52m先の横浜ゴールに突き刺さったのです。結局このゴールは、遅延行為および審判への侮辱ととられ、ピクシーは退席処分となってしまったのですが、観客は大盛り上がり。試合後インタビューでは「こうやれば得点できるという手本を見せた。素晴らしいゴールでしょ?」とニヤリ。なんとも愛嬌のある、そして華のあるピクシーを象徴するようなゴールとして、多くのサポーターの記憶に刻まれたのでした。