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サッカー情報

サッカー界における神様のハットトリック(1993年・ジーコ)



1993年、日本でプロサッカーリーグ、Jリーグが開幕しました。開幕当初、Jリーグを彩った海外のスター選手たち。それまで日本人が見た事もないようなプレーで、Jリーグを盛り上げてくれました。そのなかでも、特にJリーグに強い影響を残したのがジーコ選手です。

世界を魅了した「やせっぽち」

世界を魅了した「やせっぽち」

ジーコ選手の本名は、アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。ブラジルで生まれ、14歳でリオデジャネイロの名門クラブ、フラメンゴのユースチームに入団します。テクニックは優れていたものの、やせ型だったことから「やせっぽち」という意味の「ジーコ」と呼ばれるようになりました。その後、肉体改造に成功し、フラメンゴで中心選手としてブラジル全国選手権で4度の優勝や、トヨタカップでの優勝など、黄金時代を築きました。1976年にはブラジル代表にも選出され、3度のワールドカップに出場しています。特に1982年のスペイン大会では、ファルカン選手、ソクラテス選手、トニーニョ・セレーゾ選手と「黄金のカルテット」と呼ばれ、ブラジルサッカー史上最も多くの人々を魅了したチームと言われています。

Jリーグ創世記の外国人スター選手

Jリーグには、これまでに数多くの外国人選手がやってきました。特にJリーグ創成期には、ストイコビッチ選手やリトバルスキー選手など、世界的に有名なスター選手が来日し、何度となくスーパープレーを見せてくれました。まだワールドカップに出場したこともなかった日本で、日常的に世界レベルの選手たちとプレーできたことは、日本の選手たちのレベルを大きく引き上げることになりました。なかでも特に大きな影響を与えたのが、ジーコ選手です。1989年に現役を引退していたジーコ選手は、「ゼロからプロサッカーを築く事」に魅力を感じ、1991年に当時日本サッカーリーグ2部の住友金属(現鹿島アントラーズ)に入団。選手としてだけでなく、現場での全体への指導などを通して、選手やチームにプロとしての意識を植え付け、日本を代表するチームとなる鹿島アントラーズの基礎を築きあげたのです。

神様のハットトリック

1993年、Jリーグが開幕すると、JSL時代からの強豪だったヴェルディ川崎や横浜マリノスなどが優勝候補に挙げられ、鹿島アントラーズは苦戦が予想されました。しかし鹿島は、ブラジルからジーコ選手のパートナーとしてアルシンド選手を呼び、名古屋グランパスエイトとの開幕戦を迎えます。この試合でアルシンド選手が2ゴール、ジーコ選手自身はハットトリックを達成し、鹿島の強さを日本中に印象づけたのでした。勢いに乗った鹿島は、そのまま1stステージを制覇し、Jリーグの強豪として栄光の歴史をスタートさせたのです。1994年に、1stステージで現役を引退したジーコ選手ですが、鹿島のテクニカル・アドバイザーに就任するなど、日本との関係は続いています。2002年には、日本代表監督に就任し、2006年のドイツワールドカップ出場に導きました。本大会での成績は奮わなかったものの、日本代表監督での国際Aマッチ勝利数で歴代1位という記録を残すなど、「サッカーの神様」は日本サッカーの発展に尽くしてくれたのです。